<タイムトラベルを考える>

タイムトラベルを考える


 最初に断って置くが、タイムトラベルは理論的にも、現実に置いても不可能である。あくまでも思考実験として、タイムトラベルを考える事にする。タイムトラベルだと言われている都市伝説の矛盾も考えて置くとしよう。

 現在では、宇宙ロケットを使った宇宙旅行が日常化しており、おそらく、宇宙旅行が不可能と主張する人はいないだろうと思う。しかし、過去には、宇宙旅行が不可能だと考えられていた時代があったし、宇宙旅行を捏造した都市伝説も存在したわけである。そういう時代の宇宙旅行の証拠とされた話は、今から見れば、笑い話にしかならない科学的矛盾に満ちたものであったに違いない。タイムトラベルの話も同じような問題を抱えているのは疑う余地が無いだろう。

 たとえば、50年前の過去から時間の壁を飛び越えて一瞬で50年後の未来にやって来た航空機の話があるが、これを宇宙旅行に例えて言えば、一瞬で地上から宇宙に到達し、その次の瞬間には、一瞬で地上に戻ったのと同じで矛盾だらけのお話である。

 タイムトラベルと言うが、一瞬で過去や未来に行けるはずが無いのである。宇宙ロケットで宇宙に行くのに30分ぐらいの時間がかかるように、時間をかけて加速しないと宇宙飛行士は加速度で死んでしまう。タイムトラベルも同じで、時間や空間を十分に取らないとタイムトラベラーは強い重力に晒されて即死するだろう。未来へ行くにしろ、過去へ行くにしろ、タイムトラベルには時間がかかる話が無いのは、タイムトラベルに関する全ての都市伝説が作り話である証拠でしか無い。

 それでは、タイムトラベルとはどういうものなのだろうか。50年後の未来に行くのであれば、50年かかって未来に到達するのが現実的なタイムトラベルである。過去に戻るとしても、50年前の過去に戻るのであれば、50年かかかって戻る事になるだろう。一瞬で行けるはずが無いのである。

 光速度に近い速度で宇宙飛行をおこなえば、50年後の未来でも10年ぐらいで行く事が出来るが、それは宇宙船内の話であって、地球から見れば50年かかって未来に到達したのと変わりはない。重力が大きなブラックホールの近くを通って未来へ行くとしても、地球で50年が過ぎているのに違いは無いのである。宇宙船内の時間が遅れるだけで、50年後の未来に行くタイムトラベルに50年かかっているのに変わりはない。

 過去へ戻る時間旅行も同じ問題が生じるはずである。50年前の過去に戻るとすれば、50年間かけて戻るしかないだろう。一瞬で過去へ戻ろうとすれば即死するだけである。SF映画やアニメと違って、現実のタイムトラベルは非常に時間がかかるはずなのである。時間がかからないタイムトラベルの話は全て捏造された都市伝説と考えて間違いないだろう。

 実の話、タイムトラベルが現実に起こっていると考えないと説明が付かない現象が過去に問題になった事がある。大気圏内核実験がおこなわれていた頃に、水爆が爆発した時に起こっているデータを収集する為に時間を測定していたら、核爆発後に爆心地周辺と遠く離れた場所では時間が5秒ほど逆戻りしてズレているのがわかった実話がある。

 それでは、なぜ核爆発が起こると時間が逆戻りするのだろうか。たとえば、原爆では金属ウランや金属プルトニウムの球形の塊を外側から爆薬を使って爆縮して起爆する方法を使うが、常識的に考えれば、金属の塊を爆縮しても、一瞬で砕け散ってしまって核反応を起こす時間が無いはずである。

 ところが、実際には核反応物を爆縮すると時間が逆戻りし、その間に連鎖反応が終了して核爆発する現象が起こる。なぜ、こんな事が起こるのかと言えば、核反応物が爆縮で砕け散る未来と核反応が起こって核爆発を起こす未来ではエネルギーに大きな違いがあるので、エネルギーが大きな未来に繋がる時間軸が優先して選択され、核反応物質が砕け散って核反応が起こらないという時間の矛盾は生じ無くなり、時間の矛盾(タイムパラドックス)を飛び越えて核爆発が起こった未来に繋がる事になる。

 実際にタイムトラベルがおこなえるとすれば、これと同じような現象が起こるはずである。未来から過去に戻る時点で、本来ならば起こらないはずの現象を何度も目撃する事になるだろう。SF映画やアニメのような単純明快な時間旅行は空想の産物に過ぎないのである。

 最後になったが、タイムトラベルは何度も言うように不可能である。もっとも、情報だけを過去に送る時間通信は可能だと考えられている。すでに20世紀半ばに実現している技術である証拠が数多くある。政府やマスコミが真実を報道せずに揉み消しに狂奔しているだけの話なのである。



                                   <NOBUAKI>


 <追記>

 浦島太郎のお伽話がアインシュタインの特殊相対性理論に酷似していると言われるのは、竜宮城という遠い場所に行く間に何百年もの時間が過ぎているのに浦島太郎が若いままで行く事が出来たり、未来の故郷へ戻った時には何百年もの時間が過ぎている点などが、特殊相対性理論の帰結と同じだからだが、浦島太郎が過去の世界に戻ろうとして白髪の老人になって死ぬのも、何百年前の過去に戻ろうとしても、過去に戻るには時間がかかり過ぎて途中で老人になってしまうのだとすれば、特殊相対性理論や一般相対性理論の帰結と矛盾しないからである。

 →浦島太郎
 →相対性理論


 もっとも、日本書紀や万葉集が書かれた時代に、なぜ相対性理論に通じる話が語り継がれていたのかは誰にもわからないのも事実である。



                                   <NOBUAKI>