<短大生バラバラ殺人事件の報道>

短大生バラバラ殺人事件の報道


 宮崎勤が起こした連続幼児殺害事件報道以来、この種の猟奇殺人に関しては精神分析学をテーマにしたセンセーショナルで過剰な報道が目立つが、今度の事件もまた同じらしい。別の夫婦間でも死体損壊事件が連続して起こったこともあって、なぜ死体損壊が起こるのかがテーマになっているようだが、犯人に対するヤボな精神分析論よりも、合理的な理由を考えた方が良いだろう。

 夫婦と言っても元は他人どうしであり、殺人事件が起これば、死体損壊が起こっても異常なものと取られることは少なかったが、実の兄弟で死体損壊事件が起こり、しかも、性的な対象とされる部分を切除したという部分が誇張されて報道されている。

 バラバラ殺人に代表される死体損壊事件の多くは、実は持ち運びに不便だからという、物理的な必要性に迫られておこなっている場合が多い。猟奇的と言うよりは、死体の処分に慣れていない初犯の者がおこなう犯行と言われている。

 バラバラ殺人事件の犯人の行動を冷静に考えて欲しい。死体を細かく分ければ、当然、処分すべき死体の数は増えるわけである。大量の出血が原因で床が汚れたり、隠さなければならない物が増える結果を生む。しかも、切断した死体をあちこちに放置する。それも出来るだけ遠くの場所に捨てに行こうとする。処分する死体の数を増やし、しかも、わざわざ遠くの人の注目を集めるような行動までするわけである。事実上、これは犯人が深層心理では早く多くの人に事件を知らせて逮捕されたいと考えていると判断しないと説明がつかない。

 むしろ、この事件が起こる前に発生したコンクリート詰め死体放置事件の方がよほど悪質であるし、周到に練られた死体処分である。コンクリートで固めて、死体を自宅の床下に放置すれば、死体が動かないので第三者に発見される確率は極端に小さくなるからである。

 バラバラ殺人をおこなう犯人は殺人に慣れておらず、死体の隠し方も下手であり、多くは善人であり、追い詰められて衝動的に殺害した可能性が高く、残虐な死体損壊が報道される反面で、犯人はむしろ内向的な人間である場合が多いと言われる。

 実際、死体を損壊しなければならない合理的な理由はほとんどないからである。理由があるとすれば、犯人が死体を他人に見られるのを極端に恐れており、死体を抹消したい一心で死体損壊に及ぶと考えられている。

 持ち運ぶのに不便だからという理由も必ずしも適当ではない。人間ぐらいの重量物を運ぶのであれば、カーテンを外して、その上に死体を置いて引きずれば、摩擦が減って動かせるという話は推理小説などでしばしば出て来るし、階段を下ろす時は死体を布団で丸めて転がり落とすなど、色々とあるのだそうである。死体を切り刻むというのは合理的な理由があるからではなく、精神的な圧迫から逃れたいという犯人の願望から来るものであり、それ以外の理由はほとんどないのである。小心者ほど死体損壊をおこなうのは、他に手段がいくらでもあるにも関わらず、冷静に考える精神的余裕を失っている為なのである。

 むしろ、今度の事件は必要以上に死体を細かく切断したことが問題であり、ゴミとして捨てようと考えていたのではないかと思われる。もちろん、死体をゴミとして捨てれば、すぐに発覚するのは明らかである。では、どうすれば発見されないかと言えば、先に取り上げたコンクリート詰め死体遺棄事件のように、死体を損壊しないで殺人がおこなわれた場所に長期間放置するのが最も発見されにくいのだそうである。家の床下に死体を埋めていた犯人が何十年間も逮捕されなかった事件も実際に起こっている。犯人が考えている以上に死体が発見される確率は低いものなのである。

 だが、それほど死体の発見を恐れる必要があるのだろうか。殺人事件がすぐに死刑に直結するわけではなく、多くは懲役刑で終わっている。死刑判断が出ても執行は最高裁判決が出た後であり、それには十年以上もの時間を必要とする。

 ある意味では、日本ほど殺人事件の刑が軽い国は無いのではないかとも思う。また、殺人に対する認識が薄くなるばかりの社会的傾向も問題である。追い詰められて相手を殺害するのではなく、妹と別居するとか、自分がマンションやアパートに引っ越すとか、方法はいくらでもあったにも関わらず、そのどれも選ばなかった犯人は妹に対する依存心が強かったのではないかと思われる。

 この事件のように家庭崩壊と受験教育の歪みが重なっている例は日本中に数え切れないぐらいあるだろう。そのどれもが殺人という解決策に走るとは考えたくないが、遠く離れてみて初めて家族の大切さがわかるとも言われる。人間は各人に違いがあるからこそ人間なのであって、その違いを克服することに人間の偉大さがあるのだが、高度な情報技術が発達している現代になっても、家族間のトラブルでさえ克服出来ないのは、なぜなのだろうか。受験で人生のほとんどが決まってしまう社会の構造的問題を解決しようとする政治家はまだ現れていない。



                                   <NOBUAKI>