<学力低下は教育政策の失敗が原因>

学力低下は教育政策の失敗が原因


 政策を提示する時には解釈の曲解がおこなわれるのを理解して置く必要がある。「ゆとり教育の実現」という大義名分を提示しただけで、学校教育を骨抜きにし、何も教えないのがゆとり教育だと曲解したのが当時の文部省であった。こういうことは政治の世界ではしばしばおこなわれ、混乱を生む元凶となっている。学力の低下が続いているのは、教育がわかっていない政治家や官僚が増えたのが背景にある。

 「肉を食べさせずに、スープばかりを飲ませる。」と言われる日本の学校教育は、昔から質よりも量の時代が続き、学習効率の悪さ、時間ばかりかかって教育の質の向上に繋がらない問題が指摘されていた。

 それでも、スープを大量に飲んだ結果、少しは知識が身に付いた人々が国を支えて来たのであるが、そのスープの量まで制限した結果、学力が栄養失調になってしまったようである。

 「一を聞いて十を知る。百を悟る。」という諺があるように、本来、教育には洞察力を磨くことが基本としてあるはずだが、現在の詰め込むだけの教育制度では連想記憶に関連する洞察力を磨く教育が十分におこなわれていない。

 その為、知識を応用する能力が育たず、記憶した知識を実生活で生かす能力が乏しい結果となり、ただ単に覚える能力ばかりを要求する学校教育が子供の才能を潰していると言われている。

 だから、1つの項目を提示して、これに関連する知識を系統付けて書くように言われると、全てを知っていても関連する知識を組み合わせる能力を鍛えていないので、何も書けないで白紙提出する学生が多いのだそうである。

 文章を組み立てる能力が低いと言われるのも、小論文や説明文、小説など、自分で文章を書いて相手に説明したり、説得したりする試験問題がほとんど出ない学校教育の現状が影を落としている。

 戦前の学生が大学受験前までに本を百冊以上書いていると言われるほどの能力を持っていたとされるのに比べると、今の学生は文章が満足に書けず、読解力や説得能力に欠け、インターネットでも相手の気持ちが理解出来ずに罵り合っているのが実態である。

 情報社会になり、インターネットが普及した現在では、自分の意志があれば、いくらでも本や小説に相当する文章を書いて発表する場が用意されている。ホームページやブログがそれであり、文章を書き、組み立てる練習の場が用意されているにも関わらず、それが学校教育に生かされておらず、むしろ、逆に学校教育の崩壊を促進する結果を生んでいる。

 学生の学力が低下したというよりも、学校教育が情報社会に適していないと言うのが実態であろう。学校が密室化しているという指摘は過去にもあったが、それは現在の教育崩壊と事件の続発を見てもわかることである。

 教科書1つ取っても、これほど情報化が進んだ現在にありながら、斜陽化が進む出版界の実態を無視し、CDやDVD1枚無く、インターネットの教育への利用もおこなわず、情報革命以前の教科書だけによる教育を続けている学校が多いのが現状ではないだろうか。

 学校教育は完全に情報社会を無視しておこなわれている。インターネットや携帯電話、テレビゲームなどが無い時代と全く同じ教育環境を維持しようとしている。自宅に帰れば、情報社会の恩恵がいくらでも受けられる学生達を相手にして、学校内で旧態依然の教育制度が維持出来ると考えるのは文部科学省の官僚だけであり、誰もが現在の教育制度の実態に疑問を持っているのではないだろうか。

 急激に進むIT技術の進歩の中で、紙と鉛筆による試験制度がいつまで続くのか疑問に思う人は多いと思う。教育そのものが再考を余儀なくされる時代に入っているにも関わらず、何も議題にされていないのが現状なのである。

 もちろん、電卓があっても計算力は必要であるし、ワープロがあっても漢字を書く能力は必要である。本を探して調べる必要もあるだろう。だが、これらがIT技術の応用が広がる中で、全てがコンピュータに依存したものになっている現状を無視出来ないのではないだろうか。

 学力低下として現れている指数の背後には、インターネットに依存した生活を続けている学生が面倒なことをしたがらない結果が出ているように思うのである。

 こういう傾向は今後も進んでいくだろうし、それに対応した教育環境を整えて行かなければ現実から遊離した教育になるのは否定出来ないだろうと思う。



                                   <NOBUAKI>