<地球外知的生命はどんな姿をしているのだろうか>

地球外知的生命はどんな姿をしているのだろうか


 暗い世相を離れて、今回は広大な銀河系には、どういう生物がいるのかを考えてみようと思う。観測技術の向上によって、10個の恒星のうちの1個以上に惑星があるという統計予測が出ているし、原始的な生命ならば、多くの惑星にも存在して不思議ではないと言われている。しかし、知的生命となると、実数は全くわからない状況が続いている。

 我々は常に偏見で物事を見ているものである。自分たちは特殊な少数派に過ぎず、世界の多くでは通用しないのだという見方をする人は少なく、大部分の人は自分の常識がどこの世界でも通用すると錯覚している。

 地球外生物や知的生命に関しても、こういう偏見が根強くあり、地球外知的生命と言うと、人類のような姿をしている高等生物を想像する人が大部分である。しかし、それは偏見の産物であって、人類とどのくらい違った生命が存在するかは誰にもわからないのである。手足や指の数が人類と同じという偏見に取り付かれている限り、本当の地球外知的生命は見えて来ないだろう。

 こういう偏見は地球外知的生命が存在する天体について考えてみてもわかる。例えば、我々人類は太陽という恒星から数えて三番目にある惑星に存在し、大型の月があり、海と大陸があって、濃い大気を持っている地球に棲んでいることを知っている。だから、他の知的生命もほとんど同じような環境の惑星にいるに違いないと考えがちである。

 しかし、これこそ偏見の極みなのであって、そういう惑星に知的生命が存在する確率が非常に低いのだと考えたことはないだろうと思う。

 これは太陽系に類似した恒星の周囲に出来た惑星系を見てもわかる。原始恒星系が誕生する時には、多くは惑星を従えて生まれるが、その多くは太陽系のようにはならないのである。理由はガスの量が多過ぎて、惑星が大きくなり過ぎてしまい、大型惑星の重力の影響が大き過ぎて惑星系の軌道が歪になり、扁平な楕円軌道に変わってしまう場合が非常に多いことがわかって来ているからである。

 しかも、さらに悪いことに、大型惑星が大き過ぎると周囲の微惑星を弾き飛ばしながら軌道を変えて、恒星に接近を続け、最後は恒星のすぐ近くを回るようになり、その間にあった中規模の惑星は衝突したり、弾き飛ばされたりして、無くなってしまうことが判明している。

 だから、ほとんどの恒星では、地球のような惑星は無いか、あっても軌道が歪な楕円軌道であって、知的生命のような環境異変に脆い生物が生息出来るような惑星環境にはならないのである。

 こういう惑星が安定する条件をいくつも重ねていくと、銀河系に存在する惑星が数千億を超える数であっても、地球以外に知的生命が存在する確率はほとんどゼロに近いという結論を導き出すことも可能だという。

 だが、これも極論であり、偏見に基づく考えだと思う。太陽が生まれた時には、同じ星間分子雲から生まれた太陽ぐらいの大きさの恒星が多数存在したはずであり、その化学組成や物理量も良く似た恒星もあったはずであるし、原始太陽の近くにあって、初期には同じような進化を遂げた恒星もあったはずである。

 現在では、こういう恒星は固有運動によって太陽から遠く離れてしまっているだろうが、やはり、太陽と類似した軌道を公転している可能性が高い。もし、そうであれば、数は少ないにしても、地球のような惑星を持ち、性質も太陽に似た恒星があっても不思議ではないわけで、こういう惑星に限って言えば、知的生命が発生している可能性は必ずしも否定出来ないわけである。

 ただし、知的生命とは言っても、人類に似ている可能性は少ない。理由は、確率的に類似しない可能性が高いからである。これは太陽の近くにある恒星を調べてみても、太陽との類似性が必ずしも高くないのと同じであり、太陽とスペクトル型や大きさが全く同じであっても、三重連星であって、大型惑星がほとんどないと考えられたり、軌道が歪な楕円軌道であったりなど、一つの共通点が大きくなると他の部分が違って来るという傾向があるからである。

 この法則を地球外知的生命にあてはめて考えてみると、例えば、直立二足歩行をおこなう生物である点が共通していても、他の部分は全く違い、手が4本あったり、指が7本あったり、体中が鱗で覆われていたりなど、人類と異なる点が半分以上出て来ることになる。だから、地球外知的生命が存在しても、人類そっくりの生物だと考えるのは、我々の偏見から来る妄想なのであって、人類との違いが大きいほど可能性が高くなるのが真実なのである。

 だから、人類に似ていない生物を前提にした方が真実に近づけるわけで、地球外知的生命が人間みたいな姿をしているというのは、あくまでも偏見に過ぎないのであって、実際は大きく異なり、恐竜のように前足が小さくて後ろ足が異常に大きな形をしている知的生物が発見される可能性の方が高いと見ることも出来るわけである。

 これも偏見を捨てて考えれば、大きな脳を支えるには下半身が大きい方が理想であり、上半身は逆に小さく、腕が細くて小さくても高度な文明を作り出すには大きな力は必要ないなど、決して矛盾した考えではないからである。

 だから、カンガルーのような知的生命がいても不思議ではないという考えも出て来るわけである。実際、3メートルを超えるような大型の知的生命はカンガルーのように下半身が大きくないと体重を支えきれないことがわかっている。人類よりも大きな知的生命は人類とは違う形になるのである。

 また、左右が対称(シンメトリー)という性質も宇宙のどこでも同じとは限らない。シンメトリーが崩れた進化を続けた生命がいる惑星ならば、どの生命も左右が非対称になり、知的生命も左右が非対称になるだろう。こういう生物に関しては我々の常識は全く通用しない。

 DNAやRNAなどの核酸やたんぱく質に関しては、大きな違いが無いことが予測されることが逆にわかって来ているが、その組み合わせに関しては何もわからない状況である。

 人類が5本指になったのは大型哺乳類である猿が5本指だったのが理由であり、指の数が違った場合に進化や文明にどの程度の影響が出るかはわからないが、指の数よりも指の長さが知性に影響しているらしく、指が長過ぎても短過ぎても駄目で、ある程度の指の長さがあることが重要だと言われている。

 従って、指の数が違っていても、手と指の長さの比率は人類とほとんど違いが無いということになり、逆に、それ以外の点ではどれだけ違っているかはわからず、異なる点が多いことが考えられるわけである。

 これは現在、研究開発が進んでいるロボットについても言えることであり、指の数が2~5本とバラバラであるにも関わらず、指の長さに極端に大きな違いがないのは偶然ではないのである。

 このように、共通点についてわかっている部分だけを決めて、それ以外は全て違っていると考えて行けば、地球外知的生命の実態に近づくことが出来るのだろうが、我々が映画やテレビで見ているような姿をしていないことだけは確かだろうと思われる。



                                   <NOBUAKI>