<過去の重大事件を振り返ると>

過去の重大事件を振り返ると


 連続幼児殺害事件を起こした宮崎勤の部屋に積まれていた6500本のビデオの山の映像を覚えている方は多いだろうと思う。あれから、二十年近い歳月が過ぎたが、我々は、あの事件の教訓から学んだというよりも、むしろ、同じ種類の事件の多発に苦しんでいるという方が正しいように思う。

 宮崎勤の犯罪を嫌悪したのは、誰でも同じであったが、今から考えてみると、彼は情報社会の負の側面の犠牲者としては、パイオニア的な存在であったのではないかと思う。

 宮崎勤という人物に現在の社会問題の多くが集約されているのは、否定しようが無い。ニートに繋がる引き篭もり型の生活、毎日のようにビデオにのめり込んでいる姿は、インターネットにのめり込んで過去のテレビ番組のビデオを見ている我々の姿に繋がっている。猥褻な雑誌やビデオの情報に騙されて、歪んだ性欲を増長させていった姿はインターネットで垂れ流されている猥褻な写真やビデオなどの情報の氾濫が続いている現代社会に通じている。子供に凶暴な性格を露呈し、殺害に及ぶ姿は、現在、多発している子供を殺害する親や若者達の姿を予見させるものであった。

 情報社会とは何なのか。人間とは何か。情報の充足がもたらした破局。情報が充足するだけでは生きて行けない人間の姿がそこにあったように思う。人間が真の意味で幸福を感じる為には何が必要かを問いかける事件でもあった。

 あれから、情報社会は技術的には飛躍的な進歩を遂げたが、問題の本質は何も解決されていない。酒鬼薔薇聖斗や宅間守に繋がる幼児を標的にした大量殺害事件を止めることは出来なかったのである。

 政府がこの問題の解決策を考えないまま、成り行き任せの政策を続けた結果、子供が毎日のように殺害され、ニートやフリーターの増加で子供を生むことが許されない世代まで生まれようとしている。

 人間は情報だけで生きていくことは出来ないのである。どんな情報でもインターネットで集めることが出来るようになったからと言って、決して幸福になれたわけではないのである。情報を生かしてこそ幸福に繋がるのであり、情報と社会を繋ぐものがインターネットなのであり、情報社会なのである。

 我々は情報が充足するだけで満足してしまって、それ以上の利用を考えていない場合が多いのかもしれない。今では6500本のビデオと言えば、情報量としては、むしろ少ない方だろう。インターネットで流れている映画やテレビ番組の映像情報は、この数を遥かに上回るからである。一生かかっても全てを観ることが出来ない情報量がインターネットを流れているのである。

 情報を集めることに溺れて犯罪に走った宮崎勤の姿は、現在、起こっているさまざまな形の情報犯罪の原点になっている。もし、あの頃にインターネットがあったならば、彼は殺害した子供の写真や映像を匿名でホームページやブログに公開していたに違いない。そして、それを得意げに解説する評論まで載せていたのではないかと思う。実際、それに類する事件はすでに起こっているのである。

 情報とは何か。情報を集める人間を突き動かしているものとは何かが、そこにあるように思う。それは、我々が情報を集めたり、発信したりする時にも感じている、ごく当たり前の充足感と同じなのだろうか。

 インターネットの普及によって、我々は新聞記者や写真家、音楽家、作家にしか許されなかった情報の発信という自由を手に入れている。それは良い意味でも悪い意味でも我々の社会を変え、我々の生活スタイルも変わっているのである。

 だが、情報の充足だけでは人間は生きられないだろう。人間は情報を社会の中で生かすことが出来た時に、本当の意味での幸福を感じるのではないだろうか。



                                   <NOBUAKI>