<センセーショナリズムとマスコミ報道>

センセーショナリズムとマスコミ報道


 最近、テレビを見なくなった人が多いかもしれない。ニュース番組を見ていると、本当に疲れる。朝から晩まで騒ぐ為にニュースがあるとでも言わんばかりの報道ばかり、演出されたり、脚色されるニュースも多い。その反面で重要な事件が十分には報道されていない。いったい、ニュースはどうなってしまったのだろうか。

 幼い子供が異常性欲者によって殺害されたニュースが報道される。もちろん、許しがたい殺人事件である。ところが、テレビで流されるのは被害者の写真や映像がほとんどで、加害者の映像は少ししか放送されない。

 こういう報道に関しては批判がある。被害者が晒し者になっており、被害者の写真や映像は出さないようにすべきだという声である。ところが、これにはマスコミが猛反対する。それではニュースにならないと言うのである。被害者が出なくて、加害者だけではニュースを見る者がいないというのだ。

 これには、さらに説明が必要だろう。実は事件に加害者は必要ないのである。被害者だけの報道でもニュースになるからである。だから、ニュースは加害者の報道よりも被害者の報道が優先される。テレビで被害者報道ばかりが延々と続くのは、これが理由である。

 だから、被害者に比べて加害者が受ける恥辱は少なくなる。この為、マスコミの報道を見ていると、しばしば加害者の知名度が上がり、加害者を卑下する内容の報道はほとんどおこなわれない。許しがたい殺人犯が英雄視されるという現象が起こる。マスコミ報道の矛盾がここにある。

 現在のように、マスコミが興味本位なセンセーショナリズムに走った報道を繰返していると、こうした傾向はさらに強まり、加害者を英雄視して、同じ犯罪を犯す者が現れる結果となる。一つの事件が起こると百の追従者が出ると言われる所以である。

 ストーカー事件、幼児殺人、いじめ殺人、セクハラ事件、強姦事件、放火殺人など、どれもがセンセーショナルなマスコミ報道が加熱した頃から急速に増え始めている。犯罪予備軍と呼ばれている社会に不満を持っている人達に犯行を思い立つ口実を与えるような報道が続いているのが現実問題として背景にある。

 本来、犯罪報道は犯罪者の行為を知った視聴者をシラケさせる必要があると言われている。それが政治だと言う人までいる。実際、殺人事件の実態を知れば知るほど、犯人に幻滅し、被害者に同情する人が増えるはずである。

 ところが、現実は十分な報道をおこなう時間がなく、また、報道しても番組を見る人が少ないなどの問題があるようだ。ニュース番組が娯楽番組と同じような作り方、見方がされるのも、それが理由かもしれない。

 現実を知って犯罪に対する認識が欠落している自分の愚かさを知ることが必要なのは言うまでもないことだが、現在のマスコミの報道姿勢では、そうした認識を持つ視聴者は増えて来ない。

 マスコミが報道しない犯罪後遺症や人生を破壊された人達がなかなか立直れない現実などは、視聴率に結び付かないのであまり放送されず、それがセンセーショナリズムの元凶としてある。

 法律もまた、犯罪者のプライバシーを侵害してまで犯罪者を糾弾する報道を認めようとはしない。犯罪者を笑い者にしなければ追従者が大量に出て政治的に危険な場合だけしか、そういう報道はされない。加害者の人権と政治との板挟みが起こるのも、この点に尽きる。

 こうしたマスコミのセンセーショナリズムが新たな犯罪を誘発する原因の1つになっている可能性はあると言わざるを得ない。これはテレビという放送形態が深く突っ込んだ報道を時間をかけて流すことが出来ない問題から生じた結果なのだが、これはインターネットが持つ特性とは全く逆である。

 マスコミ報道が一面的で一方的な決め付けの繰り返しである点も、こうしたセンセーショナリズムの問題や多面的な視点での評価が手薄になる理由としてあるが、テレビを見なくなる人が増えているのは、インターネットの普及だけが原因ではなく、こうしたセンセーショナリズムへの飽きが根底にあるのではないかと思う。



                                   <NOBUAKI>