<日の丸と君が代はなぜ嫌われるのか>

日の丸と君が代はなぜ嫌われるのか


 日の丸と君が代の教職員への違法な強制が裁判で批判される判例が出た。軍国主義との密接な関連、国旗・国歌として正式に制定せずに長年に渡って流用して来た不誠実な対応、日の丸と君が代の成因に至るまでさまざまな批判があるにも関わらず、その多くは国民に知らされることも教えられることもなく、「知らしむべくして、寄らしむべし。」の政策が続いて来たのが現実だろう。

 本来、国旗や国歌は国のシンボルとしてだけでなく、国民の団結や統合の意味合いも持つので、国民のほとんど全ての賛同が得られるものでなければならないはずである。米国のように国民が納得出来るまで4回も国歌を変えた国もある。米国は国旗も州が増えれば変わる国である。国が一度決めたことは、国民がどんなに反対しても絶対に変えようとしない日本とはまるで正反対であると言わざるを得ない。

 日本がなぜ国旗や国歌で、もめるのかと言えば、原因は明治時代にまでさかのぼる。明治維新が成功した後、西欧諸国にある国旗や国歌と同じものが日本にも必要だという考えが政府内に出て来たが、当時の明治政府は国旗や国歌の必要性に関して、あまり深刻に考えていなかったようである。

 その為、単に国の識別の為に必要だという認識しかなく、日の丸は船舶標識として制定したに過ぎず、国旗としては制定していない。君が代も同じで、儀式上の式歌としての制定に留まり、国歌としては制定されないままになっている。

 また、日の丸や君が代を製作する段階でも、国民の声など全く入れられずに、一部の官僚と政治家が勝手に決めて、天皇の名の下に臣民に押し付けるという形で決められている。

 そして、それ以降は、軍国主義の台頭によって、国旗や国歌の必要性が強まるにつれて、流用という形で日の丸や君が代が使われることになり、正式に国旗や国歌が制定されることはないまま使われる結果となったわけである。

 最初から、こういう曖昧な形で使われたことへの不信、また、国民に犠牲を強いた軍国主義に最大限に利用されたという恨みから、日の丸と君が代に反対する人は国内にも多い。また、海外でも大日本帝国というファシズムのシンボルだったことから、日の丸や君が代の評価は最悪であり、特に第二次世界大戦中に旧日本軍の侵略で被害を受けたアジアの国々に反対が多い。日の丸と君が代は内外で四面楚歌の状態が続いているのが実態である。

 こうした政府と官僚のいい加減な姿勢や軍国主義に使われた失態を教育で十分に教えずに半ば強制という形で継続されて来たのが、日の丸と君が代の現実なのである。日の丸と君が代が正式に国旗や国歌として制定されたのは、冷戦が終了した後であり、つい最近のことである。

 日の丸や君が代に対して、政府が国民に何も教えないで受け入れさせるという政策を続けているせいで、国旗の意味や国歌の意味を外国人から聞かれた時に、ちゃんと答えられない人が非常に多いのも現実である。君が代の内容を正確に解釈して理解している人はほとんどいないだろう。誤った解釈を信じ込まされている人が多く、外国人から笑われたという話まである。

 外国では、国旗を破ったり、国歌を愚弄すると殺人事件が起こることさえあるが、日本ではほとんど起こらないのは、要するに、こうした実態を何らかの形で知っている人が多いせいで、愛国心が冷めているとも、そもそも日の丸や君が代に愛国心を持てと言うほうが無理だと言う人までいる。

 日の丸や君が代が軍国主義に使われた歴史があるのは事実だが、あまり効果的ではなかったらしい。特に君が代は曲が暗く元気が無いので、愛国心の盛り上がりに乏しく、戦意高揚の為には、軍歌が多く使われていたと言われている。

 君が代を普段歌わない人が多い理由もここにある。国歌には定式と言うべき作曲方法があって、例えば、米国合衆国国歌、ロシア国歌、フランス国歌などには共通するパターンがある。つまり、元気が良い旋律と慰めるような叙情的な旋律とが交互に使われるという技法である。最初と最後に元気が良い旋律を流し、途中にしみじみとした旋律が流れるのは、愛国心の高揚をかなり意識した作り方である。

 こういう作風の曲が好きな人は非常に多い。実は子供達が遊んでいるゲームにも、こういう作風の曲が使われているものがある。ところが、君が代には、こういう旋律が全く使われておらず、嫌われたり、歌わない人が多い原因の一つになっている。

 こうした失敗を失敗として認めず、あくまでも正当化して恥じない政府の態度が問題をこじらせ、悪化させ、我々日本人の国旗や国歌に対する屈折した精神構造を生む元凶となっているように思う。

 しばしば政治家が国旗や国歌は変えられないと言うが、君が代に関しては編曲した曲が作曲されて使われている。それでも歌わない人が非常に多いのは、やはり、国民の愛国心に訴えるものがないからと言わざるを得ない。船舶標識や式歌として作られたものに国旗や国歌としての役割を求めることには無理があるのだろうと思う。

 また、日の丸に名前を書き込む風習があるのは日本だけである。本当は国旗に文字を書いたり、落書きをしてはならないのだが、国旗ではなく船舶標識だったので、戦時中から日の丸に書き込みをする習慣が始まっている。国旗や国歌に対する認識は日本と外国では全く違うと言わざるを得ない。

 私自身は国旗や国歌は必要だと考えているが、軍国主義のシンボルとして内外を問わず不評な傷だらけの日の丸や誰も歌わない君が代を国旗や国歌として継続しても、大きな進展はないだろうと思っている。

 本来ならば、終戦時に新しい国旗や国歌を作るべきだったのだろうが、政府が何も変えない政策を続けた為に、現在のような国民の意識と国の実態が大きく食い違った状況が続く結果となっている。

 しばしば言われることだが、ドイツはハーケンクロイツ(ナチスのシンボルだった鍵十字)を捨てて和解を得たが、日本はファシズムのシンボルを何も捨てずに孤立している。今後、アジアとの関係を緊密にする必要性が強まるにつれて、日の丸や君が代は国際問題として大きく影を落とすことになるだろう。



                                   <NOBUAKI>